2018年12月23日

冬の奥大井屈曲路

 井川、畑薙、寸又峡など奥大井エリアを訪ねた。県・国道であっても山間ワインディング狭路が多く、険・酷道巡りでもある。走行日2018年12月15日、使用車輌Polo。

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 まずは井川ダム(静岡市葵区)に向かう。新東名の新静岡IC静岡県道27(井川御幸線)に降り、そのまま27を走り続ければ、ダムに着ける。IC着午前5時50分、気温6・5度。日の出前であたりはまだ暗い。供用区間の29(梅ヶ島温泉昭和線)から27単独路に分岐すると、桂川付近からゆるい2車線屈曲路となる。長熊から幅員は広くなったり、狭くなったり繰り返すワインディング路に変わる。奥地ヶ谷では半スリバチ状の左コーナー登り坂周辺によく刈り込まれた段々茶畑があり、コーナー直下にスリバチの底に文字がかすれ時間の経過を物語る「奥大井茶」の宣伝看板と茶農家なのだろう一軒の家屋がみえる。6時51分、3度。IC近くのコンビニ駐車場で少し明るくなるまで時間調整。で、ここまで来るのに時間を要した。

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 上落合から27はぐっと幅員が狭まり、1~1・5車線の険道らしくなってきた。市営温泉のある口坂本着7時15分、2・5度。ここから大日峠(1160㍍)に本格的に登り詰めていく。「大型車通行止め」と掲出されたオレンジ色の電光掲示板がその入り口で周囲は冬枯れ状態。路肩には落葉が積もっていた。今では見かけなくなった警笛鳴せの交通標識がブランインドコーナーに立てられている。林道ライクな道である。峠着7時23分、0・5度。眺望の開けない峠では道が二手に分かれている。右「県民の森、勘行峰」左「井川、少年自然の家」の案内板。むろんここは左折するのだが、右に行けば、長期にわたって災害通行止めとなっている井川雨畑林道につながり山梨県に抜けられる。峠を下りだしてしばらく先から県道ではなく、市道のようである。かつて大日林道と呼ばれた道だろう。道なりに行くと富士見峠(1164㍍)で60(南アルプス公演線)にぶつかる。

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 同峠着7時31分、零下1度。峠には広い駐車場とトイレが設けられているが、風に舞った雪がちらついていた。60もワインディング路であるが、2車線幅員である。富士見峠から井川ダムまでの道は、ダム建設補償によって当初林道として延伸されたもので、それまでは大日峠を越える現在の27でしか井川には行けなかったとされる。

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 1957年竣工の104㍍の堤高上を渡ってダム駐車場着、7時56分、1度。ダム湖の湖面が低い。普段なら水没している湖崖がかなり見えており、その土砂の色が混じっているのだろう水は薄緑白に着色していた。ここからは60の終点である畑薙第一ダム先の南アルプス登山指導センター前のゲートまで走る。ダム湖の地形に沿った屈曲路が続くが2車線幅員。ダム湖に架橋されたうぐいす色の井川大橋(幅2・5㍍、長さ258㍍)に寄る。2㌧以上は渡れない床が木製の吊り橋。クルマを乗り入れるとゆらゆら揺れた。橋の中央までくると、青空の下、雪をかぶった南アルプスの上河内岳(2803㍍)の偉容が望めた。この橋は対岸の上坂本の集落に行くためにダム建設補償で建設された。

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 60は「白樺莊」(市営温泉宿泊施設)を過ぎると、路面状態は悪化する。つぎはぎ鋪装なのである。この施設までは一般・登山客がくるが、ここから先はバスに乗り換えて通行するケースが多いのだろう。畑薙第一ダムから5分も走れば60の終点(沼平)である。8時47分、0度。鉄索厳重ゲートがあるのだが、当日は一本のロープで仕切っていた。ゲート先は未舗装の東俣林道で一般車両は入れない。しかし、今秋から林道の先でリニア中央新幹線の建設準備工事に着手した。資材運搬車などが行き来する。このため、関係車両が来るたびに鉄索ゲートを開け閉めしていたのでは面倒なので、ロープを張って締め切り、ロープを路面に垂らして通れるよう簡略化したのだろう。林道を30㌔近くさかのぼったところにある二軒小屋(山小屋)付近の大井川西俣と呼ばれる地名の地下にトンネルが掘られ、西俣に非常口が設けられる予定である。同小屋よりもゲートに近い赤石ダム先の椹島(さわらじま)の作業員宿舎はすでに完工済みという。

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 ゲート前でクルマをUターン、井川で60から分岐する市道閑蔵線に入り、接岨峡を抜けて寸又峡を目指す。閑蔵線は幅員1・5程度の森間の狭い屈曲山道だが、路面はフラットで路肩のゴミも少なく、よく整備されていた。閑蔵線は林道由来で1965年に開通。幅員といい、深い谷といい、確かに林道として造られた雰囲気を今なお残した道である。この道ができたことで、接岨峡をクルマで通過できるようになった。それまでこの区間は大井川鉄道井川線が唯一の交通輸送手段だった。井川線の接岨峡温泉駅に寄る。10時28分、3度。同駅は388(接岨峡線)から少し離れて立地する。小さな木造駅舎。ホームにはこれも小さな赤茶色の客車(千頭~閑蔵)が停車中であった。閑蔵からひとつ先の終点井嬉川間は土砂崩れで不通であったための運行区間表示となっていた。駅から徒歩1分もかからない駅を見下ろすロケーションに入浴私設がある。Wikiによると、同駅の一日あたり乗降客は221人(2016年)。閑蔵駅は20人に満たない。入浴施設のあることが接岨峡温泉駅の乗降客数に反映しているのだろう。

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 388に復帰。この県道は2車線である。湖面上に赤い鉄橋と駅(奥大井湖上駅)を俯瞰する絶景区間を通る。奥泉で寸又峡に向かう77(寸又峡線)に入る。2車線道がしばらく続いた後、狭くなる。対向車検知システムが2箇所だったか、設けられており、対向車をセンサーが感知すると、ランプが点灯し、知らせる仕組み。それだけ狭いブラインドコーナーであることを示している。道は広がったり、狭くなったりしながら寸又峡駐車場到着。11時10分、5・5度。寸又峡イコール金嬉老事件を思い浮かべる人は60以上の世代だろう。1968年2月に発生した、この事件は在日韓国人二世、金嬉老(事件時39歳)がライフル銃などで武装し、ふじみや旅館に押し入り、宿泊客などを人質にとって、在日韓国人に対する日本社会における差別を批判したもので、今年事件発生から半世紀を迎えた。当時、活字、電波媒体が大々的に報じたことで、山奥のローカル湯に過ぎなかった寸又峡を一挙に全国区の温泉知名度引き上げた。金嬉老は99年に韓国に強制送還され、2010年(82歳)に死去。
 ふじみや旅館は2012年に経営者の高齢化などを理由に廃業。建物などは人手に渡っている。しかし、営業はしていないものの、旅館は今でも残っている。足湯のある東屋のある施設がその場所とされる。

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 話が脱線した。77は行き止まり県道。来た道を戻り、沢間で77を逸れ、茶畑のなかの農道を進み、町道にでて沢間駅に。驚いたことに道は同駅のホームに乗り入れて終点となった。この駅は1968年で運行終了した千頭森林鉄道の起点であったと同時に井川線の駅でもある。駅の前方にはコンクリート製のホッパーと目される構造物がみえる。これは同林鉄の遺構とされる。土のホームの上でクルマをUターンさせ、77に戻った。

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 77から合流し、二手に分かれる国道362を静岡方面に向けて走る。12時28分、10・5度。当日最後の走行ルートである。小長井トンネルを抜け、馬路大橋を渡っていると、前方にトンネルの抗口が見えてくる。馬路トンネル(全長292㍍、幅6・7㍍)というのだが、ゲート封鎖され、赤い矢印で右に旋回するよう指示されている。道は1~1・5車線幅に狭まり、急勾配登りでクネクネしだすが、まもなく2車線幅員に復帰する。川根本町小長井~富士城の約10キロの区間は本川根静バイパスとする道路整備計画がある。馬路トンネル経由の道はその計画の未供用部のひとつで、トンネル自体は2003年に完成済み。トンネル先から2車線に現道が復帰するところまでの間(1・4㌔)がまだ未整備のためにトンネル封鎖されているのである。この整備計画は1981年~2022年に施行するという実に息の長い事業で、実現後、今の急峻な山間部の道路状況がスムーズに離合できるようになる。

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 さて、復帰した2車線道はしばらく続き、この区間は快速登坂ワインディング路であるものの、また道は狭くなり、杉尾はなのき展望所付近で2車線になりつつ、これを過ぎるとまたしても狭くなる。圧巻なのは川根本町が属する榛原群(はいばらぐん)と静岡市葵区との境を静岡市側に移ってからの下り狭路である。ヘアピン3連発で下るところでは、ヘアピンにはコーナー外側に内側に向かって傾斜がつけられていたりする。また12、13%の急勾配で高度を下げていたりするのだ。途中、茶畑が展開し、景観も開けるが、本気で攻めるなら前方を注視し、ブレーキングとステアリング操作にひたすら集中していたほうが無難である。362が酷道とされる由縁を十二分に堪能することができるだろう。タイトワインディングは32(藤枝黒俣線)が分岐する久能尾(葵区黒俣)まで継続する。

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 ここまでくると、集落内になると、狭くなるぐらいで、安心して走行できるはず。362から分かれて新静岡スマートICに向かう207(奈良間手越線)経由で同ICから新東名で帰宅。IC着、13時7分、11度。

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■全行程(GPS):約553km/最高高度(GPS):約1,205m
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