2014年8月1日

山滴る栃木の好走路

今回のドライブでは奥鬼怒林道と通行可能な塩那道路をメインディッシュとし、これらを結びつけるべく、栃木県下の山道を周遊した。走行日7月6日(晴れ)。使用車両c63。

C63

まずは奥鬼怒林道(山王林道とも呼ぶ)に向かう。東北道宇都宮IC直結の日光宇都宮道路終点(清滝)からR120をいろは坂を経て中禅寺湖に。湖岸に面した菖蒲ヶ浜キャンプ場からみる同湖には早朝の気温上昇とともに朝霧が漂う。戦場ヶ原に沿ってわずかにR120を走り右折すると。光徳牧場がみえてくる。

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明治30年に開業した同牧場の名称は、日「光」と初代牧場主、吉田「徳」三郎氏の一字ずつを組み合わせたもので、辺り一帯の地名にもなった。同牧場はおいしいアイスクリームを提供することで知られる。

同牧場を過ぎると、丸太に奥鬼怒林道と書き入れた標識がでてくる。AM7時03分到着。これが起点で、冬季閉鎖ゲートも備える。ここから川俣までの距離は約22㌔である。山王峠(標高1739㍍)までは登りで、ミズナラなどの成長した樹木が林道上を覆う、木漏れ日の中を往く。前夜か早朝に降雨したらしく木々の枝などに付着した水滴に太陽光が拡散するらしく、白く霜が降りたようにみえた。

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道路は2車線幅確保され、走りやすい。県道といってもおかしくない。惜しむらくは道を横切る暗渠部の段差が大きく、強い突き上げショックを受けることで、暗渠を乗り越える際は事前にじゅうぶん減速しておいたほうがよい。

山王峠は右周りコーナー部分にあり、うっかりすると、そのまま通過してしまうほどこれといった特徴はない。林道起点からずっと登坂路が続き、下りだしたと感じたら、そこが峠である。光徳牧場~峠~日光湯元のトレッキングルートが設けられているためか、あるいは山王帽子山(2077㍍)登山のためなのか、峠には自家用車数台と一台のツアーバスが路肩駐車していた。

同林道は1963年(昭和38年)開設とされる。しかし、それより以前から道としては存在した。峠から少しばかり下ったところに西沢金山跡というのがある。
明治になって本格的に採掘されだし、昭和14年に閉山したとされる。

同鉱山への物資供給・供出ルートとして山王峠経由とする光徳までの道程があったのだ。同高山の最盛期は大正年間。人里離れた山中に1300人が暮らし、病院や学校までも設けた鉱人街が形成されていた。この人口からしても運搬する物資量は相当な量にのぼったはずだ。

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当時は自動車の時代ではない。馬や人力による荷駄運搬である。峠を通る道は現在よりも少し標高の高いところを通過しており、今も徒歩でならかつての峠に行き着けるようだ。

同鉱山から先の川俣までの山を開削・延伸し、林道として供用開始したのが1963年と考えられる。川俣地区の住民の要望を行政が受け入れて林道は延伸された。同林道が開通したことによって、川俣の奥鬼怒温泉郷は従来からの川治温泉経由の東側ルートに加え、日光からの南側ルートができあがり、集客力が強化されることになるのだ。

峠から先は視界が開ける箇所もあり、川に沿って走るものの、道幅は狭まり、眺望は効かない。数十メートルの短い素掘りトンネル3本を立て続けに抜ける。

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同林道は噴泉橋を渡河したところで、県道23に突き当たる。左折すれば奥鬼怒スーパー林道に行けるが、一般車両は環境保全のために通行止め措置がとられており、将来も解除される可能性はないだろう。

よって右折し、湯西川に向けて進路をとった。噴泉橋脇には硫黄の臭いをともなう間欠泉があるのだが、残念ながら土砂崩れで噴孔がふさがれ、かつてのように勢いよく噴出してはいない。見たところ30~40㌢ぐらいの高さまでちょろちょろ噴き上げているけれど・・・

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K23は鬼怒川の渓谷に沿っているが、道幅は狭い部類にはいる。川俣湖にかかる川俣大橋脇から福島県檜枝岐村に抜ける川俣檜枝岐林道(昭和40年起工標識あり)が分岐する。林道入り口はアスファルト路面だが、すぐに非舗装路となる1車線狭道である。2㌔も走っただろうか、路面に水たまりがあちこちでき、路面状態も悪化。クルマの底を打ちそうである。

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同林道は24㌔のダートと道路地図には記載されている通りの道のようで、クルマを転回させるのも困難をともないそうと判断し、走行を断念した。

結局、川俣大橋を渡り黒部ダム近くで県道249へと乗り入れ湯西川に往く。K249はスピードの乗るワインディングロードだが、それも土呂部先の南会津町に至る県道350との分岐までである。それ以降、一転して湯西川温泉街までは狭路の山道となる。

土呂部では水をためた古めかしい小さなダム際をK249が通っている。竣工1963年の発電専用土呂部ダムである。しかし、堰堤に近づけないうえ、貯水限度量以上の水を流す落水側にはいくすべがないのだろう、この方向からの写真をみたことがない。

ダムと言えば、K249沿いには三河沢ダムもある。しかし、ダムに向かうK249との分岐点(三河沢橋)にあるゲートは固く閉じられ、見学会でも催されなければ、一般人は通年でダムの外観さえ実見することはかなわないようだ。ゲートにはダムがあるとも、林道名(三河沢林道)さえも書かれていない。

湯西川温泉には鬼怒川、川治両温泉を通過するR121経由で行くのがメインルートだろう。湯西川ダム建設(完工2012年)にともなって五十里ダム先からの経路が付け替えられ線形・線幅とも大幅改良され、山をぶち抜いたトンネルの連続で湯西川に一息で到着できるようになった。それまでは湯西川の渓谷沿いの曲がりくねった狭い山岳県道をたどっていくしかなかった。

この結果、鬼怒川と湯西川にはさまれた川治温泉が凋落したように見受けられる。温泉街が埃っぽく映り、日曜日の昼間だというのにシャッターを降ろした商店も。

これに比べ湯西川温泉街はこぎれいなホテルや旅館が建ち並び、活気がある。どうせいくなら秘境感のある温泉につかりたいとおもうのがひとの心理。加えて湯西川には秘境につきものといえる平家落人伝説も備わる。なにしろ平気落人民俗資料館まで用意する念の入れようである。

湯西川からはR121にでて鬼怒川温泉手前の日塩もみじラインに入り、塩那道路に向かう。日塩道は1973年に供用開始された有料道(610円)。全長約28㌔で、道幅も広く、カーブもおおむね緩やか。スピードがでやすいものの、走り甲斐がある。栃木では霧降高原道路とダイナミックさで双璧だろう。秋には文字通りもみじの紅葉で込みそうな道だ。日塩道中間部にスキー場が存在する。

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しかし、営業しているのはエーデルワイスとハンターマウンテン塩原の2つ。しかし、過去には鶏頂山とメープルヒルの両スキー場も隣り合って営業していたものの、今では閉鎖され、分県地図からも消滅している。前者は1961年開業と庶民にスキーが普及する前に開業した老舗。後者は1989年に営業を始めた後発。

スキー人口は1993年をピークに減少に転じた。2010年には最盛期比、3分の1の600万人台まで激減。スキー場経営が立ちゆかなくなるのもこれでは無理もない。鶏頂山スキー場は現在、同山への登山口として利用されているが、木造コテージふうの建物のメープルは窓ガラスが割れるなど廃墟と化した姿をさらしている。

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塩那道路。塩原と那須を結ぶ50㌔の標高1800㍍近い峰を越える山岳観光道として企画され、険しさゆえに自衛隊の手を借りてパイロット(先導)路まで造りながら本道を建設することを中止せざるを得なくなった悲運の路線である。

しかし、夜間通行止め規制をしつつ塩原側、那須側ともそれぞれ約10㌔ほどを県道(266)として残し利用できるようになっている。中間部30㌔は自然に帰すための人為的廃道化工事を進めている。

塩那は1962年というから東京5輪の2年前に栃木県が計画を表明。71年に先導路が竣工。むろんダートである。75年に建設中断。2004年、中間部の建設中止となった。

73年に第一次の、78年に第二次の石油危機が起きている。第一次前にバーレルあたり3ドルだった原油価格は第二次で40ドル近くまで急騰した。原油価格にみあう価格体系とするために建設資材価格などは高騰。当然、道路建設コストの急上昇を招いた。加えて、景気はそれぞれ後退局面に入った。

建設コストは膨張するわ、財政収入は落ちるわで、塩那は建設中断に追い込まれる。89年のバブル崩壊以降、長期不況突入。建設中止に至る。

高度成長期に計画された塩那は相次ぐ経済環境の激変に見舞われ、それを乗り越えることができなかったといえる。

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というような経緯を持つ塩那で、今回走行したのは塩原側の終点(土平園地)までの区間である。路面はフラットで道幅も広く、ぐいぐい登っていく。小曲りと標識のでている超ヘアピンはほぼ360度転回する急坂で、ここがこの道路のポイント部である。なにぶん距離が短いので、終点まではあっという間に行き着く。

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終点の道路封鎖鉄柵は、法面にまで柵が回り込み、谷川も大きく張り出させた鉄壁の閉鎖ゲートに仕上げられている。さらにゲートの内側には腰あたりまで高さのある3個のコンクリートブロックまで置いている。

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そして「ひとも通ってはいけません」という注意板が掲げられている。ゲートから先は自然に帰すための土木工事中であって、もはや道路とはいえないからひとも通すわけにはいかないのだ。

10キロばかりを往復するだけの塩那。この道路を走りにくるのは、道の成り立ちを少しでも知っているひとに限られる、とみられる。当日、行き会ったのはバイク1台と写真撮影に訪れたというロードスター1台だけだった。半面、高山岳度を期待しすぎると、あまりにあっけなく終点にたどり着くので拍子抜けするだろう。

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奥鬼怒、塩那と目的道を走り終えたので、帰路はおもしろそうな道路を選んで東北道矢板ICに向かった。

塩那への分岐点のR400まで戻り、塩原支所前から県道56に入った。狭い道をたどっていくと、八方ヶ原手前から道が広がり、コーナーが連続する。道路表面には蛇が這ったようにブラックマークが鮮明に残り、コーナー外側にはゴム屑が溜まっている。

よくはわからないが、週末には夜な夜な出没する走り屋集団がいるのだろうと推察する。センターラインにはキャッツアイなど埋め込まれていない。コーナーは広くとられている。周囲に集落はない。日中の交通量は少なく、夜戸もなれば・・。コーナーにゴム屑をまき散らすか行為におよぶ条件がそろっている。

学校平の「山の駅たかはら」で例によって遅めの昼食とした。この山の駅からK56と並行して東側を通る県道33の宇都野にでられる道が道路地図には描かれている。ただ、白抜き表示の道なので道幅や路面状況は行ってみないことにはわからない。

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山の駅正面駐車場前の道路を登っていく。アスファルト舗装はまもなく終わり、凹凸が大きく、クルマが揺さぶられる1車線幅のコンクリ鋪装路に変わる。左手の疎林を通して別荘らしき2軒の住宅が垣間見える。1軒は廃屋になっていそう。鋪装が切れ数十㍍のダート。しかし、その先にはコンクリ鋪装がみえている。コンクリ鋪装、ダートを何回か繰り返しながら走っていると小さな湖の側にでた。

それまでに「八方湖」という道標があったので、これがその湖か。道路図には池だか、湖だかわからないが、「貯水」場のあることを示している。しかし、名称まで記載していない。地図によっては描写無視しているものもある。つまりマイナー湖。

対岸湖面には一本の枯れ木と水草の群落が水面上に顔を出し、山水画のようにみえ、湖面を伝う霧によってその光景を見え隠れさせている。


八方湖は建設年はわからないが人造湖で、かつてはルアーフィッシング場もあり、周辺では別荘地の分譲もされていたそうだ。しかし、周辺にはかつての賑わいはなく、山の中の寂しい湖といった趣き。

八方湖からは狭いアスファルトの道路となり、嶽山箒根神社(奥の院)に続いていく。神社境内には日差しを遮るスギの巨木が目立つ。同神社は7世紀に創立されたといわれ、とんでもなく古い歴史を背負っており、宇都野には千年スギのある同神社遙拝殿が設けられている。


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奥の院前に「林道沼代・シタブ線」(全長約10㌔)なる標識があり、この道路が林道であることを知る。植林された杉林のなかをいく幅員3㍍の林道で、ところどころ谷側にガードレールのない箇所も通る。狭路ゆえ、対向車とのすれ違いに苦労することは必至で、眺望も開けていない。幸い、当日は宇津野に降りるまで1台のクルマとも出会うことはなかった。

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同林道は1990年に完成し、98年に鋪装を完了。鋪装して以降、改修工事をしているのかもしれないが、路面はフラットで走りやすく、路肩には白線が残っており、八方ヶ原から山中を横断して県道30に抜ける道路の割には日頃の交通量は多くないのだろう。

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農家とおぼしき人家が見えてくると、この林道も終点を迎える。県道30にでて矢板ICから東北道に乗り入れて、今回の走行を完了した。

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■全行程(GPS):約523km/最高高度(GPS):約1,744m
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