関越道小出ICが今回の走行起点でまずR352に入る。同道は大湯から先が本格的な山岳道路で、次第に高度を上げていく。奥只見ダムに向かうには大湯手前の折立から奥只見シルバーライン(新潟県道50)を使うのが常道だろう。しかし、日本有数の酷道とされるR352を体験すべく、あえてシルバーラインには銀山平から乗り入れ、ダムに向かうルートを選択。
R352は1・5車線程度のワインディングロードでヘアピンを続出させながら枝折峠(1065㍍)まで登っていく。途中、やや色あせたオレンジ色のスノーシェッドの屋根には草木が茂り、建設からの時間の経過を感じさせる。道路は山の稜線を縫うかたちで断崖絶壁のなかをくねくね回っていくが、右手は深緑鮮やかな山の眺望が素晴らしい。
枝折峠にはAM7時24分着。50台は収容できる駐車場が備えられているが、満車であった。峠は日本100名山に数えられる越後駒ヶ岳(2003㍍)の登山口でもある。駐車されているクルマのなかは空っぽ。山歩きの朝は早い。すでに登りだしているのだ。地元ナンバーだけでなく関東や静岡県、九州ナンバーのクルマまで止まっている。ローディーもいる。枝折峠ヒルクライムの練習走行で訪れているのだろう。
峠を越えると下りだが、今度は左手の眺望が開ける。緑の山襞に沿って白いものが・・小さいけれど、雪渓が残っているのである。
銀山平からシルバーラインに突入する。同ライン総延長22㌔のうち18㌔はトンネル走行であるが、銀山平からだとその3分の1のトンネル走行で奥只見ダムに行ける。トンネル内にはオレンジのナトリウムランプが灯っているものの、湧水が路面といわず側壁にも流れているために光が吸収されてしまい暗い。トンネルというよりも洞窟内を走っているようにおもえる。
トンネル内温度は14度。当日の外気温は25度。温度差で霧が発生している箇所もある。出口に近づくとクルマの窓やサイドミラーまで一瞬に結露してしまい視界を失う。ワイパー作動。視界回復。同ラインはバイクを通行禁止している。トンネル内のウエット路面や霧、結露の状態からすると、バイク走行は危険といわざるを得ず、通行規制しているのも頷ける。
奥只見ダムは緑色の湖面をみせて満々と水をたたえていた。目指すは電力館。階段か1分足らずのモノレールで無料の電力館送迎マイクロバス停留所までの、いずれかを選択する。日差しが強く気温も高いので9時初のモノレール(1人100円)を選ぶ。時間が早いせいか、乗車したのはわずか4人であった。
バスも数分で電力館まで運んでくれる。ここまできたのはダムカードを頂くためである。下りとなる帰路はすべて徒歩で戻った。
奥只見ダム。1960年(昭和35年)発電開始。堤高157㍍は重力式ダムとしては本邦最長。ちなみに堤高が一番高いのは黒四ダムの187㍍である。戦後の高度成長を支えるべく造られたダムとしては切手にもなった佐久間ダム(静岡県)が1956年の竣工で、これに続く大型ダムとして奥只見ダムが建設された。施主はいずれも国策会社として生まれた電源開発(現Jーpower)である。
奥只見は名だたる豪雪地域。工期を短縮し、できるだけ安全に大量の建設資材(東京ドーム323個相当)の運搬路として枝折峠をくぐり抜けるシルバーラインを1957年に建設。1969年、新潟県に譲渡され、県道となる。
ダム観光後、再び同ラインを経て銀山平からR352に復帰する。銀山平からのR352は眼下に望める奥只見湖に沿いながら進む。同時に352の特徴のひとつである沢が道路を横断する洗い越しと呼ばれる浅いU字形のくぼみがコーナーのところどころにでてくる。大きい洗い越しは全長4㍍を越える。
しかし、洗い越し手前にはそれを知らせる団子を二つ横に並べたような標識が設けられており、あらかじめ速度を落として備えることができる。減速せずに突っ込めば、思いのほか強いショックを受けるだろう。渇水期の夏。洗い越しを流れる水量はさほどもない。
なおも延々と狭隘なワインディングロードは厭きるほど続く。尾瀬口定期船発着場(遊覧船)までくると、湖面との高低差がぐっと縮まり、県境の金泉橋を渡ると、福島県である。銀山平から尾瀬沼入り口の御池までざっと35㌔におよぶワインディングロードで、ハンドル、ブレーキ、アクセル操作に忙しい。法面に時折みえるススキは茶色の穂が風にゆらぎ、高標高地帯では秋の準備が始まっている。
御池からは一部狭路もあるが、ほぼ2車線確保されている。御池ロッジ前は湧いたように人が蝟集している。むろん尾瀬を訪れるハイカーである。ここ檜枝岐村はかつて南会津最奥の集落で平家落人伝承さえある秘境といわれていた。しかし、現在では尾瀬、温泉を売り物に全国でも屈指の高所得村に変貌し、観光立村の象徴例となっている。御池からブナ平にかけては、文字通りブナの林間のなかを走る。
R352、R401供用区間の見通りで、分岐する飯豊檜枝岐大規模林道に入り、木賊を目指す。同林道は緑資源機構(談合発覚で08年3月末廃止)が建設したもので、林道というよりも2車線の山岳ハイウエーである。林道といっても同機構の関わったものは幅員7㍍、2車線完全鋪装という規格で造られ、下手な三ケタ国道など比較にならない快適路になっている。実際、国道352よりもはるかに走りやすい。
林道については、狭く、険しい山道というイメージがつきまとう。しかし、同機構の建設した林道はこうした一般的林道概念とは無縁である。同機構は各地に広域農道も建設しており、これもまた農道ハイウエーといもいうべき路。林道にしろ、農道にしろ同機構の関係した道路は、道路状況が優れているだけでなく、交通量もひじょうに少ないケースが多く、走ることを楽しむにはうってつけ。
木賊、福島県道350を結ぶ横断道(旧唐沢林道)経由で国道352復帰。八総から滝原の区間は352の中山トンネルを経由せず、中山峠(1140㍍)を越える旧道を選んだ。スキー場の「会津高原たかつえ」などレジャー施設に向かう分岐点で352から離脱。旧道への入り口を示す標識はないが、右手に通行止め看板を掲げた道がみえたら、それが入り口である。林道中山線の標識がある。旧道になるや林道になってしまう道路というのも珍しい。
同看板は道路の右端にちょこんと置かれており、侵入者を完全に拒絶しているようでもなく、行けるだけ行ってみることにした。今から40年ほども時間をさかのぼった昭和49年にトンネルができると同時に旧道になったのだが、中山峠はトンネルよりも3㌔程度北側に位置し、峠直下にトンネルを設けたのではなく、この区間の道路そのものを付け替えて現道(352)となった。
旧道はほぼ1車線といっていい細道で、最初は法面などの草が刈られ、簡易アスファルト鋪装路が今でも維持されている。しかし、草刈りしていないあたりからだんだんと怪しげな道に変化していく。鋪装は穴だらけで、穴には水が溜まっているのも少なくない。即座に止まれるよう歩くような速度で走る。
カーブを過ぎるごとに標高を稼いでいくが、林道というだけあって周囲は鬱蒼とした樹林に覆われ薄暗い。日差しの届かない箇所が道路の悪化程度がひどい。雨が降って道路が乾かないうちにまた雨が降り、雨裂となって道を削っているらしい。
鋪装路が二つに割れて、裂け目の深さが30㌢を越えた10㍍ばかりの距離の箇所に行き当たった。降りて様子を見つつ、裂け目をまたぐように走るべく、クルマを誘導する。この道路で最も路面状況の悪いのがここであった。
峠は右カーブしており、カーブ外側が広くなっていて、眺望が効きかつてここに茶屋があったのだろう。今ではその痕跡を見いだすのも難しく、草が生い茂っているだけである。峠を示すものはない。
下りも穴ぼこだらけの道をゆっくりと転がしていく。正面に道路を塞ぐゲートが見えてきたら旧道を無事通過したことになる。簡易ゲートに追加された通せんぼ雑木をどかして、クルマを通過させた。
ゲート左脇には施鍵チェーン封鎖された非鋪装路が延びている。かつて「会津高原リゾート中山」という看板を掲げていた分譲別荘地への道であろう。「10軒ほどあるけど、一年のうち半分は雪ですから」とチェーンを解いてでてきた埼玉ナンバーに乗る高年夫婦は高いとはいえない別荘利用効率を話してくれた。
ゲートは別荘地までは行けるよう配慮された場所に設けられている。数十㍍下ると、左手に幹線林道七ヶ岳の起点があるものの、工事中で厳重封鎖中。
事後ネット調査で、中山峠旧道は1998年には問題なく通過できているが、2007年には八総、滝原両側とも現在のような通行止め看板やゲートが設けられていることがわかり、98~07年の間にこうした措置がとられたようだ。今回走った経験からいえるのは無改造乗用車でこの旧道を通るのは限界に近いということで、通行止めにしている由縁であろう。
中山峠を走り終えR121経由で、会津鉄道の会津山村道場駅近くからR121の並行路となっている荒海農免道路に入る。水田の中のフラット路面の農道で信号待ちすることなくR289に突き当たる。
R289を西進すると駒止トンネルのあるバイパスになるものの、これを使わず、1982年に旧道落ちした駒止峠への道を行く。1・5車線程度の林間を走る峠道で通行車両も稀である。しかし、中山峠と異なり、この旧道はミニ尾瀬といわれる観光地・駒止湿原’(ミズバショウ、ニッコウキスゲなど)に至る道でもある。路面状況にはとくに問題はない。どんどん高度を上げていくと、湿原に行くための駐車場脇にでる。
この駐車場はかつてここに存在した「峠の茶屋」の跡地であるといわれている。宿泊もできる茶屋で、工夫を凝らしたイワナ焼きが美味だったとされる。湿原の環境保全にも尽力した茶屋の主人が50代後半で亡くなられた後、残された家族で経営していたが、2009年頃閉店したようだ。ありし日の茶屋の様子は「山の仕事、山の暮らし」(山渓文庫)に詳しい。