泊地の青森県大鰐を出立したのが、7時45分。曇りがちで薄日もさす天候。気温16度。肌寒い。これは泊地が標高500㍍超のロケーションのため。まずは竜飛岬を目指す。大鰐弘前ICから東北道で斜面にまで植栽されたリンゴ畑などを望みながら浪岡ICまで行き、無料開放されている津軽自動車道(国道101)に乗り入れた。五所川原東で降りる。竜飛岬まで続く国道339の西隣に並行して走る「こめ米(こめまい)ロード」(五所川原広域農道)に入る。
同農道は全長50㌔はありそうで、信号が少ないことから339のバイパスとしての価値が高く、交通量は少なくない。また、左クランクが一箇所ある程度で残りはロングストレートである。道路の両側はずっと平坦で、黄金色の稲穂絨毯で覆われていた。津軽平野にきたという実感を持つだろう。ただ、道路端に電柱が連なって立っている区間が景観上、惜しい。中泊町でこの農道は終わり、339に入る。
左手に汽水湖の十三湖が大きく見えてくる。湖畔の今泉PAはパスし、十三高原のちょっとしたワインディングロードを駆け上がる。大沼の先の林間のゆるい左コーナーで右手にか細い道が分岐する。唐川城趾展望台への道である。カーナビを注意深くみていないと、見落としてしまいかねない。中世に十三湊(十三湖に存在した港湾都市)を支配していた安東氏の支城跡である。城跡展望台には木造の東屋が設けられ、十三湖はもとより日本海、大沼、岩木山などを望めるとはいうものの、標高が120㍍台なので視野角が限られ、感嘆すべき景観は得られにくい。
同展望台から339に戻る。折戸で339を外れ、海岸線沿いの小泊岬への道をたどる。しょぼい赤い鳥井の尾崎神社前の小港に集魚灯を連ねたイカ釣り漁船が停泊。港近辺の民家の建ち並ぶ間を縫う1車線生活道を抜けて110から小泊港を経て、339にカムバック。小泊港にもイカ釣り漁船が泊まっており、日本海漁り火センターもあることから、この周辺の港はイカ釣り舟の基地なのだろう。
小泊から先の竜泊ラインと呼ばれている339は日本海を眺望しながら走る軽快な道。気温21度。晴れ。萱部から339は内陸部に入り海は直望しにくくなるが、登りで9~11%、下りで10%という急勾配のワインディングロードとなる。しかし、視界が開け、幅員も広く走りやすい。途中に眺瞰台と名付けられた展望台からは、もう目と鼻の先に迫った竜飛岬や日本海、津軽平野を一望俯瞰することができた。
竜飛岬到着。11時。駐車場はバスや乗用車、バイクで満車。さすが著名観光スポット。今回のクルーズで最も観光客の集う地であった。津軽半島最北端の灯台からは津軽海峡対岸にはうっすらと北海道、たぶん松前あたりが見渡せた。灯台に主役を譲るかのように灯台直下には防衛省のレーダーサイトも設置されている。
竜飛岬には339が階段となって竜飛漁港まで延びている。灯台下にその入り口があり、階段国道の標識をバックに観光客が盛んに記念写真をとっていた。しかし、こちら側からは階段は下りで、写真には階段は写らないはず。階段と339のおにぎりマークをファインダーに捉えるには漁港側に回ったほうがよい。民家の軒先をくぐっていく路地のような道をいくと、そこには上り階段とおにぎりマークが存在し、階段国道であることを如実に示しているのである。
同岬を後にして339、280と時計回りに津軽海峡、陸奥湾沿いに海をみながら海岸線をたどり、当日の宿泊地である五所川原を目指す。両県道の右手には集落が散在しているが、昭和30年代と覚しき木板を重ね合わせて側壁とした家屋が結構みられ、風雨にさらされ側壁が一様に白っぽく変色しており、ひなびた感じを醸し出している。また、商店をほとんど見かけない。食品など生活用品をどうやって購入しているのであろうか。今回のクルーズで初日に走った日本海海岸線に沿う国道7に面した民家はおしなべて現在の新建材を用いた新しめの雰囲気が漂っていたが、ここ339、280沿いは時代が昭和にさかのぼったノスタルジックな気配が濃い。むろん道は空いている。
12時30分、三厩(みんまや)着。339沿いに民宿が多い。宿泊客はすでにチェックアウトし、住民も昼食時の時間帯のせいか、街に人の姿はみえない。町は静まりかえり、くすんだようにみえた。時折、国道を通過するクルマのタイヤがアスファルト鋪装路を叩く擦過音が唯一の音源のよう。三厩はかつて福島(北海道)とを結ぶフェリーの発・終着場であった。しかし、青函トンネルの稼働で需要が落ちたうえ、折からの長い不況期と重なり、1998年にフェリーは運航停止を余儀なくされた。これを境に三厩は集客力が低下し、活気を失っていったとみられる。また、三厩はJR津軽線の終点でもある。駅にも立ち寄ったが、駅前にははっきりいってなにもない。339と並行して竜飛岬に向かっている県道281(あじさいロード)などの周辺の観光案内板がやけに新しいのが寂しい駅前通りとは好対照である。
下北半島を見渡せる280沿線もひなびた様相である。十三湖に向けて県道12が分岐する蟹田の港では下北の脇野沢までを1時間で結ぶむつ湾フェリーにクルマを積み込んでいる最中であった。
奥内で陸奥湾と別れ内陸を走る2で五所川原へ。森の中をいく2はなかなかのワインディングロード。対向車もほとんどない快走路である。材木を山盛り積載した2台のトラックに一時道をふさがれたが、しばらく後をついていくうちに譲ってくれた。2からは小田川ダムへの道が分岐しているが、標識はない。カーナビ頼りに分岐を探す。と、分かれ道の側に案内板が立っており、この道でダムにいけることを確認した。ふるさと林道湯の沢線である。1・5車線程度のうっそうとした林間を登っていくとダムサイトに着く。同ダムは1975年竣工のロックフィル形式。堤高31㍍、堤頂長203㍍。灌漑目的で建設されたが、当日は水抜きされ、赤茶けた土と土にへばりついた緑の藻の湖底が丸見えであった。ダムは堆砂対策などのために水抜きするが、こういう状態のダムをみたのは初めて。
ダムから小田川沿いに金木町までに延びている、ちょうど2の南を並行している地図にも表記されている怪道を選ぶ。これも1・5車線程度の幅員の狭い鋪装路だが、高低があまりなく、フラット感覚で徐々に降りていく。たぶん金木林道だろう。出会った工事関係者に尋ね、この道が金木町まで抜けていることを知る。安心して走り通した。林間のなかを通っているため、眺望は効かない。この道は金木町の195に至り終わった。339にでて五所川原石岡の宿泊地に15時36分に着いた。
4日目は帰京日。五所川原東ICから無料開放中の津軽自動車道を経て浪岡で東北道に入り、仙台北部自動車道、同東部自動車道、常磐道と高速道をただひたすら南下して、東京を目指すという700㌔余りのコース設定である。五所川原の宿泊地を5時45分に出発した。気温12度。天候晴れ。シルバーウイークも明日(23日)一日だけを残すだけになり、上りの高速道は混雑すると見込んだ。それをできるだけ避けるべく、早めにスタートすることにした。
しかし、三陸自動車道合流地点で15分程度のノロノロ運転を強いられた以外は、空いており、順調に東京まで戻れた。東北大震災で原発事故に見舞われた第一原発の立地する双葉町(福島)を通過する高速道に設けられた放射線カウンターは毎時4・7マイクロシーベルトを表示。それまで小数点以下だったのが、いっきに上昇している。集団検診で浴びる量が60マイクロシーベルトだそうで、それに比べて安全というわけだが、15時間滞在すれば、これと同量になる。さらに長時間滞在すれば、するほど健康リスクが高まる。原発事故の目に見えない恐怖を感じた瞬間であった。
その後、双葉から遠ざかるにつれカウンターは2・4,0・8と下がっていった。
桜土浦で気温は30度まで上昇し、クーラーを入れた。快晴。都内に入り葛飾区小菅で出発から681㌔。岩手山SA、ならはPAで小休憩したのみで12時53分着。予想以上に快調に走りきった。山岳路を含むと7㌔台の燃費が高速道で10㌔を上回った。
■9月21日:全行程(GPS):約260km/最高高度(GPS):約555m
■9月22日:全行程(GPS):約710km/最高高度(GPS):約471m
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