2021年12月13日

奥山梨ドライブ

 南アルプス公園線やそれから分岐する狭県道など早川町(山梨県南巨摩郡)までの行程を走った。雨畑ダムの堆砂処理であるとか、リニア新幹線にともなう残土処理置き場設置など同町が抱えている問題点を車窓からだが、垣間見たことで社会勉強させられたツーリングであった。走行日2021年12月5日、使用車両c63。

C63AMG

 新東名・新清水IC(午前6時17分、気温5・5度)で国道52に降り、福士川渓谷を目指す。清水区宍原で52から分岐する静岡・山梨県道192(宍原塩出線)に入線(6時39分、2・5度)。192はのっけから1車線幅員なうえ、路面にはスギの細かい枯葉が降り積もり、轍部分のみ鋪装が見え隠れしていた。ゆっくりと登坂していくが、日の出時刻を過ぎているにもかかわらず、鬱蒼としたうす暗いスギ林のなかを道は曲がりくねりしており、対向車とすれ違うための待避スペースも満足にあるとはいえない。

C63AMG

 名もなき峠を越えたようで道は下りだした。結構斜度のきつい下りで、道両肩にガードレールが設けられているのはいいのだが、幅員は車幅1800㍉、全長4700㍉長の車輌ではギリギリ。路面に積もったスギ枯葉でテールスライドを起こせばリヤフェンダー・バンパーはガードレールに接触しかねず、緊張を強いられる。対向車と遭遇したらバックすることは至難の業である。下りきったところは県境で幅員も広く、集落がある。南部町の標識。山梨県に入る。7時1分、3度。192は最狭県道といってよく、軽か5ナンバーで全長4000㍉前後の車輌が走れる限界。

C63AMG

 左折して山梨県道811(日向宿線)に。幅員もある811だが、180度ターンで、急登坂する場所がある。一回で回れないと判断し、ターン部先の広いコーナーまでいき、クルマを方向転換した。幅員は広いがヘアピン2箇所、スギ林の狭路も。道は富士ロイヤルCCの端をかすめながら下っていく。急坂だが、民家がでてくると、幅員はさらに広がり万沢の町となる。正面に白く雪をかぶった富士山が望めた。

C63AMG

C63AMG

 国道52に到着。7時19分、5。5度。52を北上し、「道の駅とみざわ」手前を左折し、801(高瀬福士線)に入る。7時24分、5度。幅員はたっぷりあって走りやすい。道なり802(大向福士線)に。この道も幅員は十分広い。福士川を渡河する幡竜橋で県道と別れ市道なのか、町道なのかわからないが、非県道をそのまま行けば、福士川渓谷に至る快適ワインディングロードである。山には紅葉が残っていたが、奥山温泉周辺ではすでに落葉し、今年の紅葉は終わっていた。同温泉と近接するふれあいの森では5つを越えるテントが展張されていた。同森からは狭くなった道が山間にさらに続いているものの、実質、ここが終点(7時43分、2度)。

C63AMG

C63AMG

C63AMG

C63AMG

 Uターン。来た道を52まで戻り、最後の目的地、雨畑ダムに向かう。富士川に沿い52は北上しているが、その対岸に通る県道10(富士川身延線)とこれにリンクする9(市川三鄕身延線)を走る。52は空いているが、10,9はさらに空いており、身延市街地で少しクルマが増える程度であった。9は国道300に突き当たる。これを左折、52を突っ切って37(南アルプス公園線)に。8時37分、4度。

C63AMG

 終盤となった紅葉を眺めながら分岐するダムに行く810(雨畑大島線)に入線(8時49分、1度)。810はくねくね狭路で、1車線で思いのほか長いトンネル二本を抜けるとダムとダム湖(雨畑湖)に達する。ダム湖の様相が19年5月訪問時とは異なった。堆砂のために湖水が少ないのは変わらないが、河原にはゴロゴロしていた大小の岩がなくなり、黒灰色の土に覆われており、重機が止められていた。ダム所有者の日軽金が堆砂の除去作業に取り組んでいるためだ。

雨畑ダム

C63AMG

 19年秋の台風襲来で家屋を浸水させたうえ、道路を崩落させ、雨畑集落は一時孤立化するという被害をももたらした。ダム貯水量の9割にもなるとされる堆砂量ゆえにダムが大幅に増えた雨畑川の水量を受け止められなかったからである。24年度末までに日軽金は東京ドーム5個分の溜まった土砂を取り除く。これは国の行政指導を受けた措置で、全堆砂量の4割にあたる。
 雨畑集落の間を狭い810で通過すると、まもなく県道の終点に行き着く。ここからは井川雨畑林道となって道は続いているのだが、同林道は長期にわたる災害復旧工事で通行止め状態。当日も林道起点標柱先で関係者以外シャットアウトのロープが張られていた。8時59分、1度。Uターン。

C63AMG

 集落内を通過しない迂回路を通る。つまりバイパスだが、この道は作り直されていた。河原とかした湖岸に沿って鋼矢板だろうか、厚い鉄板を900㍍に渡って土中に打ち込み防水壁としたうえで岸寄りの部分を土盛りし、アスファルトを流し舗装路としたのだ。防水壁が道路面よりも高く、河原の様子はよく見えない。以前の道は河原と高低差がほとんどなかった。しかし、新しい道は河原よりもかなり高い位置にあり、下に旧道が通っているのが少し見える。これも洪水防止対策だが、ちょっと無粋なバイパス造りではある。

 再び37に戻った。9時39分、4・5度。左折し37の冬季閉鎖地点(奈良田)まで走る。18㌔あるのだが、これが意外に長く感じる。タイトコーナーがあるとか、急坂があるとか、ハンドリングを楽しめるといったアクセントに乏しいからで、わずかな上り勾配のまま早川にそって終点まで続く、単調さに原因があるようだ。しかし、主要地方県道としては、安全に走れることが重要で、これでいいのだが・・
 途中、数カ所で残土が置かれていた。これはリニア中央新幹線の南アルプストンネル開口工事にともなっ早川町内区間から発生した排土を保管しているもので、その量は東京ドーム2・4個分に相当する。奈良田から南アルプス市を通る県道20(甲斐芦安線)に接続するための早川芦安連絡道(全長5㌔、県道予定甲斐早川線)というのが、26年度完工予定で建設されている。

 この道の盛り土などにトンネル排土の約4割が使われる予定。この連絡道ができると、早川町と甲府の間で周遊が可能となり、観光客の増加が期待できるというのが早川町の胸算用である。建設費の一部をJR東海が負担する。
 早川町はかつて水力発電所の建設が盛んな頃は人口1万人を越えた。しかし、それもとうに終わり、今は1千人ちょっと、と日本で一番小さな町である。温泉など観光と砂利採取が主要産業で、観光客をなんとか増やして町を活性化したい狙いがある。町は県に対して連絡道建設を要望してきたが、県は首を縦に振らなかった。それだけには町にとって悲願の連絡道実現である。

 37はトンネル排土運搬や砂利運びのためのダンプが1日当たり420台(21年7月)も砂塵を巻き上げながら行き交い、別名ダンプ街道とありがたくない呼ばれかたをしている。走行当日は日曜日。ダンプもお休みで、走っているのを見かけることはなかった。

 さて、37の冬季閉鎖地点に到着(10時5分、3度)。開運隧道抗口前に強固なバリケードを巡らし、トンネル内部はうかがい知れない。大門沢の砂防堰から勢いよく音を立てて水が流れ落ちていた。発電施設に関係する職員の駐車場があるだけの、いたって殺風景な場所であった。37はピストン県道。通ってきた道を戻るほかない。

C63AMG

 中央道甲府南ICから帰宅するにあたって、37→300→県414(山保久那土線)→409(四尾連湖公園線)→金川曽根広域農道→29(甲府中央右左口線)→国道358とする道順を選択した。ここでは特徴的な道を採り上げる。414は川沿いの狭い山道で、周囲の冬枯れの中、ヘアピンがあったり、急坂で降りたりするワインディングロード。この道の西側には9が通っているので、わざわざ414を選ぶ必要性は薄く、それだけに空いていた。

 金川曽根広域農道は、この種の道に共通と言っていい信号が少なく、それなりの幅員も確保された快走路。道が山裾を通っていることで、昭和町などの市街地を見下ろしながら走れる。甲府南IC着(11時35分、9度)。ドライブ終了である。


C63AMG

C63AMG

C63AMG



■全行程(GPS):約487km/最高高度(GPS):約875m
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