彩の国ふれあいの森を過ぎると、ダートのお出ましとなる。しかし、初秋のこの時期、人気のない王冠キャンプ場まではフラットダートで走りやすいものの、これを過ぎると幅員も狭まり山道らしくなると同時に次第に路面が荒れてくる。前夜から今日未明にかけてかなりの降雨に見舞われていたようで道のあちこちに水たまりができていた。また、法面の岩壁からは水がひっきりなしにしたたり落ちており、素掘りのショートトンネルの路床は水浸し。
道は右に左に回り込みながら峠までの高度を稼いでいく。雨水で洗掘された箇所は深い溝となっている箇所もあり、溝に落ちてクルマの底、とくにオイルパンを打たないよう細心の注意を払う。それでも峠までに3回は底を打った。ところどころに路面が30~40㌢ばかりも盛り上がっている。法面側の沢の水を中津川に流し込むための、たぶん地中埋設パイプが道を横断しているのだろう。車速を人が歩くほどにまで下げ、前輪を乗り越えさせた後いったん止まるほどまで速度をさらに下げ、今度は後輪を乗り越えさせる。そんな作業を何度も繰り返して峠に向かう。道の周囲は雑木林で視界は開けないが、もし眺望があってもそれを楽しむ余裕はないほどに道は荒れている。
前方にコンクリートの陸橋がみえてくる。廃道状態になっているとされる奥秩父林道との立体交差地点に達したのである。やっとここまできたという感じだがまだ先は長い。高度を上げるに従ってガスが発生してきたが、視界を遮るまでに至らず。凹凸だらけの道をゆっくりゆっくりと登り続けた末に三国峠が右手にみえ、どうやら到着。ネットで峠の写真をみると、広場のようにみえるが、そうではない。2車線程度の左コーナー頂点に峠の標識とトイレがあるだけで、当日はガスが流れていた。18㌔のダートの走行におよそ1時間かかった。時速18㌔。この林道、15㌔の速度制限標識があったはずで、ほとんど掛け値なしの制限速度といえる。
同林道は武州中津川森林軌道の跡を活用したものである。同林鉄は戦中に着工したものの、完成は戦後の1947年。1959年まで林鉄として運用した後、有料林道として整備しなおされ1966年に開通、1982年以降、無料開放された。ふれあいの森にある森林科学館の施設は林鉄当時の土場であったとされる。同林道で林鉄跡らしきものは苔むして歳月の経過を感じさせる石積みの擁壁とか、細い林鉄レールを加工した頼りなさそうなガードレールもどきを走行中に確認する程度である。林鉄跡地であることを知らなければ、それに気付くことはないだろう。
同林道のあたりは脆い地質らしく過去3年間、自然災害で3回不通期間を余儀なくされている。今年も8月半ばに11カ月ぶりに復旧したばかりである。加えて12月から翌年4月末までの間は冬季閉鎖される。通常であっても1年のうち半分しか利用できないのである。もともと通行期間が限られているうえ、いつ自然災害による不通になるかわからないので、興味があれば、通れるときに通っておくのが賢明である。
半面、現地の注意板にも書かれている通り、同林道は最低地上高の低い乗用車は低速走行を強いられ、通過に時間を要することを覚悟しておくべきだ。長野側からだと峠を境に下りとなる。荒れた路面。ブレーキを多用せざるを得ないが、ブレーキングすると荷重がフロントに移行し、ノーズが沈む。路面に車体の底をぶつけやすい。登坂路である埼玉側から長野に抜けたほうがよさそうである。峠からは川上村村道168号梓山線となる。道路は一転して舗装。といっても簡易鋪装だが、埼玉側から峠までが悪路だった反動で、快適道に感じる。また、林相も一転する。雑木林からカラマツ林へと。むろん、狭い幅員だが、20分も走れば、梓山に行き着ける。
中津川林道を走る前に三峰神社への山道と大血川林道、入川林鉄跡を巡ってきた。秩父から中津川方面に向かってR140を走っていくと、大滝温泉先の宮平でR140は二手に分かれる。三峰神社へは左折していくのだが、7月下旬に一部区間で法面崩壊が発生したことで、左折できず、迂回路案内に従って右折。しばらく走ると赤いトラス構造の鉄橋(庚申橋?)を渡るよう指示され、たぶん村道だろう狭い道を縫って二瀬ダム(1961年竣工)に着く。ここから埼玉県道278となり三峯神社に向かえる。二瀬ダムの堤体頂(95㍍)を通過するのだが、1車線であるため信号による交互通行となる。
K278号は旧名が三峰観光道路で、1967年(昭和42年)に有料道(現在無料)として開通した。67年は初代トヨタ・カローラがデビューした年。前年に日産サニーが発売されている。日本のモータリゼーションが本格化した頃にあたる。個人所有の乗用車を利用したドライブも活発になっていった。観光道路という名称は今では当時の時代の雰囲気を伝える古風さを持っている。たとえばフラワーラインなどとカタカナで道路名称をつけていないところに。
同観光道は山麓部が狭く、登って行くにつれて幅員が広がるという特異な道であるが、植栽されたツツジが5~6月に見頃となるほか、秋の紅葉も見所とされる。走行当日はガスっていて三峯神社駐車場はガスが風に舞い外気温17度と肌寒かった。神社に行くには、ここにクルマを置いて15分歩いて行くことになり、三峰山頂上(1102㍍)に神社が置かれている。日本武尊(やまとたける)が創建したという日本書紀の世界の話が伝わる神社だが、天候が悪く神社に向かうのはパス。駐車場は都最高峰の雲取山(2017㍍)への登山口でもある。駐車場には午前7時過ぎに到着したが、登山者の車が数台止まり、ひと組のシニアのペアがちょうど歩き出したところだった。
駐車場先から大血川林道(12・3㌔)がはじまり、冬季閉鎖ゲートにはそれを示す標識も設けられている。1・5車線幅の鋪装道で、下りに下ってR140に抜けられる。二瀬ダム経由よりも走りやすい道で、大滝温泉よりも数㌔手前の大陽寺バス停でR140に合流する。三峰神社を目的にするなら同林道を利用したほうが観光シーズンに同観光道の渋滞に巻き込まれる恐れが少なそう。当日は5~6台の対向車に出会った。午前7時30分を過ぎて、この林道をR140から上ってくるのは神社駐車場に設けられているビジターセンターなどの勤務者であろう。
R140に合流後、中津川方面に向かって戻る。滝沢ダムの建設にともなって造られた有名な高架ループ橋(雷電廿六木ーらいでんとどろき)をぐるっと回る。同ループ橋は1999年度に経済産業省のグッドデザイン賞(施設部門)を受賞したほどで、景観性に優れる。ループ途中の駐車場にはダム建設で移転した集落の世帯名と家屋配置図のレリーフが設けられている。
滝沢ダムは堤体高132㍍、徒歩で歩ける堤体頂は424㍍で、2011年に完成と新しい。
入川林鉄跡にはR140で滝沢ダムを通り越し、大峰トンネル先の分岐路に入っていくことでたどりつける。途中夕暮キャンプ場があり、さらにその先にある観光釣り場駐車場がクルマで行ける最終地点である。この間、1車線の平坦な砂利道である。
車止めの脇をすり抜けて非鋪装林道を歩く。右下には入川の澄んだ渓流が音を立てて勢いよく流れている。木立の中の道は緩慢な上り坂で、ところどころ華奢な林鉄軌条でつくられたガードレールがある。だんだんと渓流との高度差が増していくが、なかなか林鉄軌条は姿を見せないものの、案内標識にしたがって左下にやや下った先からやっと到達するやずっと続く。ここまでくるのに20分程度は歩かされる。オーバーハングした岩の下を通過するレールやS字カーブする箇所などを見ることができる。同林鉄は1916年(大正5年)に東大(東京帝大)が演習林として林道を敷設。1929年に木材組合が軌道を建設したことにはじまる。1969年に林鉄廃止。しかし、1983年に一度だけだが、復活した。奥地にある発電所関連施設の工事にともなって資材を運搬するためであった。
話は戻る。
中津川林道を経て川上村に入る。キャベツ畑が最初にみえるが、同村の本命野菜はレタス。同村を通過するのは長野県道68である。道路下にENEOSのGSがみえるK68脇にピンクのコスモスが咲いていた。標高1100㍍の同村では9月ともなると秋の気配が漂っている。
川上村はかつて信州最果ての地といわれ、交通不便な貧村に過ぎなかった。しかし、レタス栽培で一気に裕福な村へと変貌を遂げる。夏レタスの全国シェアは約3割で首位。農家の平均年収は2600万円にもなる。後輪が大人の背丈ほどもある大型トレーラで耕作。ヤンマーが輸入元となっている米ジョンディア社の緑色のトラクターが多く使われている。もっとも安価な機種でも1400万円とメルセデスSクラス顔負けのお値段である。しかも、同村には2000台もあるというのである。農家戸数600だから、戸あたり3台強も保有している計算である。
川上村がレタス栽培に手を染めたのは、朝鮮戦争からである。同戦争では日本は広報平坦基地の役割を果たしたが、米軍属向けに必要食料としてレタスの需要が高まったのだ。同戦争では太平洋戦争敗戦で疲弊し、死に体状態だった自動車や鉄鋼などの産業が息を吹き返し、その後の高度成長に至るターニングポイントになった。川上村はそれまでハクサイを出荷する農村に過ぎなかったが、70年代に入ると、日本の食の欧米化が本格化し、サラダの具材などとしてレタス需要が大きく拡大したのにあわせ、川上村は豊かな農村へと変貌していった。川上村にとっても同戦争は作物転換を促す転機になったのである。
大正年間に創業した地元の1商店は今や小海にも出店するローカルスーパー(ナナーズ)に発展した。ナナーズ内のレストランで午後2時少し前に昼食。帰路を長野県道106を通り、クリスタルライン(山梨県牧丘から長野清里を結ぶ山岳ドライブルート)を構成する本谷釜瀬、池の平、大野山、観音峠大野山などの林道を経由して、甲府昭和から中央道で東京に向かうルートにした。林道の総走行距離は約30㌔である。
長野県道106は信州峠(1420㍍)まではゆるい2車線の登り坂。周囲には耕作できる範囲すべてでレタス畑が展開し、例のトラクターも置かれている。峠は見通しは効かず、切り落としのような感じ。峠からは下り。レタス畑は峠までの間しかない。黒森からほぼ2車線の本谷釜瀬林道に入るが、みずがき山荘先から幅員が狭まる。次いで大野山、池の平、観音峠大野山の各林道に。それぞれの林道ともにこれといった特徴はない。カラマツ林のなかを縫っている印象だ。観音峠大野山林道は途中から工事中で抜けられず、木賊峠(1670㍍)から野猿谷林道に入り荒川ダムに向かう。
野猿谷林道は狭いがフラット路面で走りやすい。同林道の東側には水ヶ森林道が通っている。野猿谷の雑木林の一部では早くも紅葉(黄葉)が散見される。荒川ダムからは山梨県道7、同27、同101を経由して甲府昭和ICで走行完了である。野猿谷林道の終点近くで初代のサニーと510ブルーバードの両セダンが草むした駐車場にナンバーなしで無造作に置かれているのを発見した。現存するサニーセダンはひじょうに珍しい存在であろう。K7とK27の県道は適度なアップダウンがあり、交通量も少なく、走りやすいワインディングロードといっていいだろう。
■全行程(GPS):約429km/最高高度(GPS):約1,729m
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