2017年8月27日

気儘な羅針盤、若者のクルマ離れ

若者がクルマに乗らなくなった!。そう言われるようになって久しい。ドラえもんのどこでもドアぢゃないけど、距離と時間を自由に操ることのできるクルマ。そのむかし自由の象徴ともてはやされていたのにねぇ。

クルマは自由の象徴
今回もワインディング親爺の独断と偏見で若者のクルマ離れについて綴ってみようと思う。
さて、ちまたでは、「増えない収入に比較し相対的にクルマが高くなった」とか、「スマホなど出費が増え維持費の高いクルマが嫌われた」、大都市圏なら「公共輸送手段が発達しクルマの必要性がない」。確かに「ごもっとも!」とうなづきたくなります。ほんとうにそうなのか、時代の底流を見過ごしていないか?

話が変わりますが、CD、DVDと言えば、コンテンツ・パッケージの代表格。ご存知のとおりそれらの売り上げも芳しくない。ちまたではスマホやSNSの普及で若者が音楽を聞かなくなったと言う説までありますが、そうぢゃないと思う。

大きな要因のひとつは人口減少。今年、二十歳を迎えた人たち1997年の出生数は約120万人、40歳を迎える1977年の出生数は約170万人。マーケット視点で見るなら概ね30%の大幅減少。100万人を割り込まんとする2017年の出生数を考えると悲観的にならざるを得ません。

数字を並べ、シュリンクする市場規模に目を奪われていると、これまた大きなマインド変化を見過ごしちゃう。そのキーワードは「所有からシェア」へ。

モノに憧れ育ったワインディング親爺世代は所有するという行為にすら意義があった。しかしモノの溢れた時代に育った彼らはモノに憧れない。モノに囲まれてもココロが豊かにならないと気づいた多くの人たち。そして、時代は動こうとしている。

週末、峠越えや山道走りに出かけるときの高速リエゾン、強く感じるのが、「わナンバー」の増殖です。特にカーシェアの躍進が著しい。近所のちっちゃなコインパーキング、場所によっちゃ、カーシェア用スペースのほうが多いところすらある。

レンタカーからカーシェアリングへ、その先にはUberのライドシェアが待ち構え、部屋が余ればAirbnbの民泊、お気に入りが不要になればmercariのフリマ。手のひらのICT、スマホが時代を変える。

さらに言うなら、CDやDVDパッケージ文化をかなぐり捨てたのがストリーミング配信の雄、SpotifyNetflixなんだね。音楽や映像を見なくなったんぢゃない。音楽を愉しむスタイルが変化したんだ。欧米なら「Amazon Echo」に「Google Home」、日本でも、まもなくLINEの「WAVE」がリリースされ、年内にはAppleから「HomePod」も揃いそう。 音楽はあなたに寄り添い生活を潤すBGMに変わりつつある。そしてスマートスピーカーの先にはスマートホームが構築されるのだろう。

ワインディング親父の時代、LPのジャケットに魅せられライナーノーツで楽曲やアーティストの背景を垣間見る。そんな音楽の愉しみ方は時間にしばられない時代の賜物だったのかもしれない。

シェア経済、まったく新しいマーケットを切り拓いたわけぢゃない。その多くが既存のサービスやコンテンツ提供に時間軸とICTのエッセンスを加えたビジネスモデルのようにも思える。サスティナブルな社会にふさわしいけど、消費、生産という経済の概念を変えてしまうのだろうか。

ここらでイッパツ、日産のCMを拝借しようぢゃないか!

グッバイ、古い常識。
ガラケーからスマホ。
そんな大きな変化が、今クルマに来てる。
オギャアと生まれたからには、時代が変わる瞬間楽しまなきゃ。
さあ、ぶっ飛ぶ準備は出来てるかい。

さて、NA大排気量V8に火をくべるか(笑)
ぶっ飛ぼう、Fun to CO2!