2014年7月4日

深緑の奥多摩周辺路

 青梅街道とこれから分岐する山梨県道の奥多摩、東山梨一帯を周遊した。6月下旬とあって新緑の季節は過ぎ、木々は深緑に染まり、もうまもなく夏の訪れを予感させた。6月19日実走。POLO使用。

Polo

 都道204号(日原鍾乳洞線)は青梅街道(R411)沿いのJR青梅線の終点、奥多摩駅脇から入るピストン道である。すぐに登坂路となり、R411分岐近くでは木々の間から白塵にまみれた巨大なプラントが右手にみえる。奥多摩工業のセメント原料、石灰原石のクラッシャー設備である。

 T204は基本的にカーブの多い狭路で1車線幅のところもあるものの、鍾乳洞まで路線バスが通っていることもあって、すれ違いのためのスペースは随所に設けられている。しかし、日中走行では対向車とできるなら出くわしたくない狭さである。とくにバスとは・・

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 左手はるか下には日原川が流れ、右側はスギなどが植林された法面。途中、空中高く山と山の間を索道がわたっている。奥多摩工業の石灰原石を運搬する無人搬送トロッコのための線路だ。始業時間前らしく、トロッコ2台が索道上に止まっていた。


 T204は「これでも東京か」と脳裏に浮かぶような山深いところを走り、陣馬街道の和田峠とも共通するようなイメージがある。T204には川乗、倉沢両林道との分岐があり、いずれも入路ゲートは開いていたが、行き止まりの通行止め林道である。

 T204最奥集落が日原。道の両側に軒先を接するように家々が密集し、軽のパトカー常駐の駐在所もあれば郵便局もある。しかし、無人らしい風化しつつある家屋が少なくない。過疎化が進んでいるようである。
 日原林道、小川谷林道(途中に鍾乳洞がある)とに分かれる2差路でUターンしR411に戻る。

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 奥多摩湖駅前から塩山方面に向けて411を西進。右に左にカーブしながらの道路の右側にコンクリートの橋脚がみえる箇所がある。小河内ダム建設の際に資材を運ぶための線路跡(水根線)である。ダム完成後、同線は西武鉄道に譲渡された、利用されることなく、後に奥多摩工業に転売されたといわれる。

 小河内ダム到着。広い駐車場にクルマを止める。晴れた日の土日にはスポーツカーの旧車などが集っているのだが、平日早朝とあってガラ空き。ほどなくしてワインレッドのロータスエリーゼが入ってきた程度だった。

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 小河内ダムを後にして奥多摩周遊道路(都道206)に。通年夜間通行止め観光道だが、当日、午前7時40分頃にゲート前についてしまい、同8時にゲートの開くのを待つ。3~4台の先着車がゲート前にすでに並んでいた。

 このゲート、自動式ではない。人力による開閉である。ゲートが開く15分前頃に係員が側の管理棟からでてきて、腕時計を時折、睨みながら待機する。

 午前8時きっかりに手動でゲートを横に開く。

 先着車の後をのんびりと登坂にかかる。コーナーにはカニ走り防止用のポールが立てられ、道が狭く感じられ走りにくい。それが狙いのポールだからしょうがない。

 ほどなくして大きな右コーナーの頂点に広い空間。月夜見第一駐車場である。眼下には山に囲まれた奥多摩湖が広がり小河内ダムの堰堤が右端に小さく望める。

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 同周遊道は風張峠(標高1140㍍)がピークのようで、その先から下りとなり、上川乗で山梨県道33と交差する。

 K33から甲武トンネル先で山梨県道18へと入り、丹波山を通るR411まで北上する。K18はワインディングロードを含んだ地方道だが、まっすぐに伸び、よく手入れされた杉林のなかを往くところがある。スギによって光線が遮られた部分とそうでない部分とが織りなすゼブラ模様光彩のなかを走る。

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 K18から再びR411に戻り、一ノ瀬林道にクルマを向ける。大常木トンネル先のおいらん淵で右折すると、同林道である。新緑を過ぎた深緑の木立の合間から谷底を覗くととても深く、車窓からでは底がまったく見えない。

 しばらくは谷底に流れる一ノ瀬川に沿って、数十メートル長の落石キャッチネットの張られた切り立った崖沿いの、どうにかすれ違い可能な狭い道をたどっていくと、薄暗い白樺などの樹間のなかのキャンプ場に着く。

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 周辺には民家が建ち並んでいるのだが、ほとんどが無人のようである。住人は不便な山中での生活を切り上げ、山を下りてしまったのだろうか。道路脇に乗り手がいるとはおもえないナンバーレスのホンダのトライアルバイクがぽつんと置いてあったり、草むす無人家屋の壁になぜかレーシングカートが立てかけられていたりする、意味のわからないうら寂しい場所を通過する。




 一ノ瀬林道はループ状で、ぐるっと回って落合でR411に合流する。集落とてない最奥部が三ノ瀬と呼ばれ、山梨県でありながら東京都が水源管理のために林道を管理している。

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 R411を塩山方面に向かって走っていくと柳沢峠(1472㍍)に茶屋がある。休憩。とくに景観がいいわけではないが、喫煙所にもなっている藤棚には東京ではとっくに散ってしまったフジの花がまだ残っていた。

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 裂石でR411と別れ、山梨県道201、道なりK218を経てR20に向かう。柳沢峠から裂石までの間しかわからないが、R411の線形改良は続いており、トンネルや高架橋を設けることで、従来よりも格段に走りやすくなっている。

 裂石で201は二手に分かれていて、道なりだとR411に並行して走るルートに乗ってしまう。しばらくこれを走ってしまいミスコースに気付き、上日川ダムにいける、もうひとつの201交点まで戻った。

 K201、K218は広くはないが、極端に狭くもない山間を縫っている道路で、平日の交通量はきわめて少ない。両県道は大菩薩峰登山者が休日に多用しそうで、2年前に通過した際は、上日川峠のロッジ長兵衛の駐車場にはクルマがあふれていたものだが、今回は空いていた。

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 東電管理の上日川ダムはロックフィールド式で、堰堤を歩ける。しかし、当日はひとっこひとりおらず、以前は解放されていたトイレもロックされ、利用不可。

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 K218は甲斐大和でR20に合流する。R20を勝沼方面に向かってわずかばかり走り、R20の旧道である山梨県道212に入る。

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 昭和33年に新笹子トンネルができるまでは、笹子峠を越えるこの道を使うしかなかったが、同トンネルや中央道の開通で、県道に降格されたのがK212である。

 現在、わざわざ遠回りとなるK212を積極的に通らなければならない理由はない。交通量は極小。上空に架かる中央道橋脚下を抜けてぐんぐん登っていく。明らかに道は狭く、今の交通環境にはまったく適さない。



 しかし、路面もとくに荒れておらず、速度に気を付けて走れば、なかなかおもしろいワインディングロードだ。周囲は植林された杉林が続く。


 峠は笹子隧道(240㍍)で越える。1車線(幅員3㍍)のトンネルで、出口が小さくみえる。この隧道、昭和13年竣工。ポータルは石積みで、とくに大月側は茶色の石を使っているうえ、2本の柱形装飾を備え、歴史と風格を感じさせる。文化庁の有形文化財に指定されている。

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 K212を走り終え、R20の追分から黒野田林道に入ったが、2月の積雪による道路補修のために6月末まで通行止めだった。引き返しR20大月から雨に濡れた中央道に入路し、今回のドライブ完了とした。

■全行程(GPS):約383km/最高高度(GPS):約1,647m
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