2016年5月24日

春の酷道152を逝く

 断層帯の糸魚川静岡中央構造線に沿って走っている山岳国道152を諏訪から浜松にかけて巡った。酷道と称される日本を代表するひとつで、その名の通り国道とは思えぬ林道まがいの狭路の連続区間であった。走行日5月14日、使用車輌Lutecia。

Lutecia

 中央道諏訪ICで降り、国道152に入る。4時50分、気温14度(東京発2時50分、同20度)。安国寺トンネルを越えた先から同国道最初の峠である杖突(1247㍍)へのワインディング路となる。しかし、2車線と幅員は広く、厳しい峠道という印象はまったくない。ただ、道路が一部改修中で路面がやや荒れていて、軽快さをスポイルさせられた。同トンネルから6分程度で峠に到着。

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 峠の茶屋は営業時間前。無料の展望台は改装中で上がれず。北アルプスと八ヶ岳が眺望できるはずだが、早朝とあってガスがたちこめ、諏訪湖すらみえなかった。気温が低いのだろう峠直下のゴルフ場入り口周辺にはまだ花を付けた桜が残っていた。桜100選で知られる髙遠城址公園に寄るが、駐車場を取り巻く桜は完全に新緑の葉桜であった。

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 次の峠は中沢(1317㍍)と分杭(1424㍍)である。それぞれの標高差が100㍍ちょっとで、距離も短く、このふたつの峠は連続しているように現れる。幅員は狭い。稜線に道を付けたようで、谷となる片側はいずれも陽光を浴びたて鮮やかな新緑の雰囲気のなかを走るが、中沢峠のほうがヘヤピンコーナーが3つほどあってタイト。同峠を過ぎると、あっけなく分杭についてしまう。いずれの峠道も雪解け時期なのか、法面などからしみ出した流水が路面を黒くぬらしつつ、帯のように流れていた。その後も152の山道区間は路面に流水がみられ、おかげでバックドアはそのしぶきを浴びて、乾くと真っ白に。分杭峠には7時前にもかかわらず、5~6台が無人路肩駐車していた。

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 ここは登山口ではないけど。同峠は中央構造線の真上にあるそうで、ゼロ地場と称されるパワースポットになっている。このため、休日には朝早くから訪れる人がいるのだろう。伊那観光協会のウエッブサイトによると、同教会実施のアンケート調査で、同峠訪問者の16%が病気などの改善のためにきたと回答。肩こりや筋肉痛に効果があったと答えてさえいる。

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 さて、分杭峠から先は長い、長い下り坂が待ち受けている。むろん幅員は1~1・5車線ぐらいと狭いまま鹿塩川に沿って下っていくのだが、タイトコーナーはなく、ゆるいコーナーと直線区間で形成された道で速度が出やすい。川側は開けていて明るく、新緑の景観のなかを走る。角が丸くなり、黒ずんだコンクリ欄干の数㍍サイズの小橋がたくさんあり、竣工年を確かめると昭和38年とか同39年と刻まれていた。中央構造線の地層が表面に現れている北川露頭先の大鹿村小塩あたりにさしかかると狭道は終わる。2車線幅の快速路へと変わり、6速にシフトアップ。大鹿村で長野県道253との分岐路に小渋橋というのが架かっている。長い年月を経て表面が黒鼠色に変色、年季を感じさせる、幅員5・5㍍、長さ106㍍のコンクリ製3連アーチ橋である。竣工昭和31年。60年前の建造物で、国の登録有形文化財の表記あり。

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 大鹿村にはもうひとつ国指定の重要文化財がある。松下家である。152沿いに行き先を示す案内表示に従って152から狭い山道にわけいっていくと、登り詰めたところにそれはデンとあった。オープン時間前なので外から眺めるしかなかったが、本棟造りという建築様式の邸宅。江戸時代中期の1820年建築というからざっと190年ほど前のお屋敷で、オーナーは豪農だという。


 152に戻る。幅員が再び1車線と狭くなり、152にふたつある不通区間のひとつ、地蔵峠(1314㍍)に向かう。同峠手前はくねくねしているが、路面もよく、幅員1・5車線程度ある、森の中を走っていく。峠から不通区間をつなぐ、迂回路の蛇洞林道には道なりに誘導されるルートとなっており、幅員1・5車線はあり林道という感じはしない。そもそも152が林道ライクな狭路である。同林道途中からしらびそ峠(1833㍍)への分岐道に入った。しらびそ高原までは長い登坂路が続くワインディング路なものの、1・5~2車線幅で走りやすい。標高が増すにつれ、新緑は薄れ、樹木は葉を落とした冬景色のまま。同峠には峠名を示す大きな木製看板が掲げられ、駐車場も備えられている。

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 ビューポイントである同峠からは冠雪の残る南アルプス山脈の眺望が開けていた。ハイランドしらびそ(宿泊施設)到着。標高1913㍍。最高標高地点だろう。宿泊施設の広い庭には、なぜか遠山森林鉄道の青色の気動車、茶色の客車、伐採木材を積んだ貨車が森林軌道特有の小さなレールの上に置かれている。同森林鉄道は営林署での運行を昭和43年に終え、その後を製紙会社が承継したものの、同47年に廃線となっている。

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 しらびそ峠からは1・5~2車線の御池山林道(南アルプスエコーラインの一部)を伝って下栗の里に向かった。同林道は御池山(1905㍍)と次の炭焼山(1553㍍)の頂上東直下を縫っている景観性の高い高地山岳路である。カーブミラーが少ないうえ、急坂ヘアピンのでてくる区間もあるものの、概ね軽快路といえる。炭焼山を過ぎてしばらく先の分岐点で、右下栗、左屋敷との標識。右の道が下栗の里に行くには近いが、遠回りにはなるが左道でも行き着ける。左を選択。たぶん右もそうだろうが、左はすれ違いしにくい1車線山道である。ただ、路面状態は悪くない。谷川に木々があり、これに遮られてあまり景観には恵まれないが、一箇所、ビューポイントが設けられている。


下栗の里

 樹木の隙間から急斜面にへばりついたように階段状の敷地に住宅や畑が点在する、日本離れした景色が広がる。日本のチロルとも呼ばれる下栗の里である。同里紹介ウエッブサイトには、このポイントから撮られたと推察される写真が掲載されている。ただ、このポイントに駐車場はない。路肩に止めて同里を眺望するなり、写真を撮るなりして、さっさと離脱するほかない。しかし、先の分岐点で多くの訪問者は右を選ぶはずで、遠回りのこの道をあえて選択するケースはひじょうに少ないだろう。下栗の里に入り、つづら折れの家屋の並ぶ急斜面集落内生活道路を1stでゆっくりと登っていく。むろん1車線幅員で、軽自動車向きの道だ。「そば処はんぱ亭」「高原ロッジ下栗」にたどり着くと終着点となる。駐車場から目下の斜面を覗いても直下2段目斜面の住宅の屋根までしかみえない。それほど斜面が急でここからでは里の全貌を掌握することはできない。ちなみに最大斜度は38度で標高が800~1000㍍に立地する里の戸数は約60,人口約150人とされる。同里は平成21年に「にほんの里100選」(テレビ朝日、朝日新聞共同企画)に選出された。

Lutecia

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下栗の里

 同里から急坂の続く152に戻る。下市場で152と別れ、国道418経て長野・愛知・静岡県道1に入り、当日最後の訪問地佐久間ダムを目指した。1は今回のルートで、ある意味、最も過酷であった。道が荒れているとか、アップダウンが激しいとか、ヘアピン連続とかいうのとは違う。コーナーばかりの道路なのだが、それがあまりにも単調な繰り返しで、延々20㌔余ほども続くのである。

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 とにかく3rdにほぼホールドしたままステアリングをコーナーごとに切ったり戻したり、また切ったり、戻したり、するだけなのである。多少でもアップダウンがあれば、テンションが高まるが、そういうことはなく、ただただダム湖の形状に沿う形で1・5車線程度のくねくね道がダムまで続く。ダム湖ははるか眼下で、沿道沿いの樹木の枝や葉が邪魔してほとんど見ることさえかなわない。1はダム建設のための工事用道路として造られ、当初、県道289として指定された後、3県をまたぐ1となったという経緯があるようだ。対岸には通行止め区間があり、全線を走れなくなった288がある。289をなぜ1にしたのかわからないが、建設当時東洋一といわれた規模の佐久間ダムに向かう道路であることから名誉県道としての位置づけを付与したのかもしれない。


 1には本土で最も人口の少ない富山村を通過する。最寄り駅は大嵐(おおぞれ、JR飯田線)。同村は平成17年に豊根村と合併し、現在は豊根村大字富山に変わっているが、合併前の平成16年10月末人口は218人だった。富山には階段国道ならぬ階段村道が存在し1からその階段と村道名を記した標柱をみることができるはずである。今でも「日本でいちばん小さい村のHP」という合併前富山村のウエッブサイトが残っている。

 ひたすらステアリングを回し続け、疲労困憊しつつやっと佐久間ダムに到着した。同ダムは昭和31年竣工の重力式コンクリート多目的ダム。堤高156㍍、堤頂長294㍍。堤体は小河内ダムとほぼ同サイズである。

佐久間ダム

秋葉ダム

 佐久間ダムの工事に関わった企業掲載銘板をみると、新三菱重工(現三菱重工)、石川島重工(現IHI)という社名が刻印されていた。前者は戦後の財閥解体にともなって三菱重工が3社に分割されたが、そのうちの1社にあたる。後者は播磨重工と合併し石川島播磨重工となる前の社名である。同ダム堤頂長は車道になっている。これを渡り山上に立つ電力館に寄る。展望台を兼ねていて、雪止め水を集めたダム湖はほぼ満水のようだった。電力館では同ダムの下流にある秋葉ダムあわせ2枚のダムカードを希望者に配布している。

佐久間ダム

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 同ダムからは国道473を経て152に戻り、第二東名浜松浜北ICから帰京した。473から入路する152は完全2車線で空いていると来ているからどんどんペースは上がった。この道は天竜川に沿っており、乳白色に濁った同川を車窓から眺めながらの快走する。同川の対岸を通る静岡県道285がまったくの空道となっているのをみて、秋葉ダムからこれに入った。

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 これがなかなかの好走路で中速コーナーと適度なアップダウンの組み合わせで、152を行くのもいいがこの県道も捨てがたい魅力があった。この県道から船明ダム手前で152に合流し、13時30分、浜松浜北着、走行完了。気温は28度まで上がっていた。東名は交通量こそ多かったが、渋滞には会わずにすんだ。

Lutecia

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■全行程(GPS):約667km/最高高度(GPS):約1,928m
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